2012年1月23日 (月)

TOP10レベルへ 錦織圭の内面の進化

2012年全豪オープン4回戦ベスト16。錦織圭vsツォンガ戦。ハイセンスアリーナはほぼ満員。試合開始前から気温は30度を超える。コート上は40度以上だろう。

第一セットを2-6で奪われた後の第二セット。ツォンガのアドコートからのフラットサーブが錦織のバックハンド側のコーナーに決まるが,不自然にバウンドが低かった。これを錦織は見逃さず、ボールが弾んだ部分のコートサーフェス層の下に、空気が溜まって浮いているのではないかとアンパイアに即座にアピールした。

このアピールが認められ、大会側がサーフェスの表面にドリルで小さな穴を開け空気を抜くために試合が10分近く中断するという珍しい事件があった。

この中断後、それまでツォンガの勢いに押されていた錦織は明らかに攻撃の主導権を相手から奪い返した。満員のスタジアムで即座にアンパイアにアピールし体勢を立て直す間を取るチャンスを逃さなかったところに、勝負師としての昨年からの急成長ぶりが現れている。

ツォンガは錦織の徹底したバックハンド狙いの術中にはまり苛立っている。ツォンガは錦織のようなクレバーな戦術をとり相手の力を封じるプレーヤーを苦手とするようだ。

錦織はツォンガと同じパワフルなフォアをより小さな構え、完全に静止した構えからの鋭い振り抜きで繰り出せるので、ツォンガはコースを予測出来ない場面がたびたびあった。

第三セット途中から錦織が強打し始めそれが決まるようになった。

第四セット9ゲームめ。ブレークを狙う錦織が見事な反射神経を見せたボレーボレーの後のクロスへのパッシングショット。スタジアムが熱狂する。しかしツォンガもここでガッツを見せて踏ん張り、ブレークを許さずセットを取りファイナルセットへ。

凄い試合になった。

錦織は炎天下ファイナルセットにもつれ込むことを試合前から覚悟して体調管理をしてきたように見える。疲れが動きに出ていた3回戦よりも引き締まった表情だ。

ファイナルセット第四ゲーム。勝負どころと見極めた錦織はレシーブからアタックしてツォンガのサービスをブレーク! ここで一気にゲームの流れを掴む。

第7ゲーム。猛アタックをかけるツォンガのブレークポイントを何度もしのぎサービスキープする錦織のメンタルの強さ。

そして最後まで試合の主導権をツォンガに渡さず、詰め将棋のように完璧な勝ちきり方をした。この試合で完全に一皮むけた感じがする。

ファイナルゲームはツォンガがあたかも格下の選手であるかのように見えた。

グランドスラム4回戦で、過去に一度負けている錦織に対して対策を立ててきたツォンガに、猛暑の中、フルセットで勝ちきったことで、TOP5以下の選手とは互角に戦えるレベルに錦織圭が突入した瞬間だった。

握手の後、コート中央にゆっくり歩きながら満員の大観衆に向かってゆっくりと両手を挙げ、さらに右拳をやったと振り抜きながら見せた笑顔がなんとも良かった。

それはこれまで彼が見せたことがなかった表情だった。3時間半に渡り自分の心を制し続けた末の達成感に浸る人間の至福の表情だったのではないだろうか。


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2012年1月18日 (水)

骨付鳥と「がもう」のうどん

香川県の平家ゆかりの地、屋島と坂出にロケ行った。

初日の晩は高松市兵庫町の「寄鳥味鳥」(よりどりみどり)に骨付鳥を食べに行く。

親どりと若どりがあるが、親の方がスモークチキンのように繊維が締まっていて旨みが濃厚でとてもおいしかった。居酒屋のつまみなので塩辛すぎるのが難点だが。

我々のグループ10人中7人に人気のあった、もう一方の若どりは自分には水っぽく脂っぽく感じられた。

翌日は坂出市のあちこちをロケしたので昼は有名店の「がもう」に連れて行ってもらった。

あの小屋に並んでゆでたてのうどんを受け取り、会計の後、天ぷら、卵、つゆ、ネギを各自で載せ、どんぶりと箸を持って、外で適当に場所を確保して食べる雰囲気が楽しい。陽向に立って食べる人も多い。
ここでのうどんは座って会話しながら食べるものではなくて、さっと食べて立ち去るものなのらしい。

客の中に手打ち麺のクォリティのへのこだわりの高さと、食べる環境へのこだわりのなさが同居しているところがおもしろいとおもった。

やや太めの麺は腰の強さがちょうど良い。一玉をかけで、もう一玉を釜玉にして、私は幸運にも小屋の入口脇のベンチに腰掛けて行列を横目に食べることが出来た。

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2012年1月10日 (火)

ナルシズムの時代

今日の日経朝刊の高島屋の広告がおもしろい。

今から96年前の創業日(京都烏丸高島屋呉服店)の社員集合写真が見開きに。
305名の内、明らかに顔を脇に向けカメラを見ていない者10名(全体の3.2%)、体を横に向けカメラに視線を向けてスタイリッシュに決める者約1名(同0.32%)。

今なら後者の割合が増加し、前者の割合は減るかもしれない。

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代官山の蔦屋書店に行って来た

昨年12月に代官山にオープンした蔦屋書店に初めて行った。三連休の最終日の夜、いい具合に賑わっていた。

あちこちにあるソファや椅子にスタバで買ったコーヒーを持って座り、本、DVD、CDをゆっくり選び、レンタルCDの試聴もできるのは最高だ。

2Fラウンジは広くて高級感があり素晴らしい。

店内全体がウッド基調で統一され、落ち着いたライティングのインテリアは思わず長居したくなる居心地のよさで3時間以上を過ごした。

反面、本を会計したレジの店員は二カ所とも本のプロでは無い「DVDレンタル店TSUTAYAのバイト」風だったのにはがっかりした。
書店には本のプロがいて欲しい。あの作家の本はあの棚にあるはず、という脳内地図が全くない店員さんだった。さんざん時間をかけて一般用の端末で調べてくれた結果、買おうとして私がレジに載せている本の書名を教えてくれる始末。その作家の他の著作を一覧したいと尋ねたのだが。

空間はNYやサンフランシスコにありそうな日本にも欲しかったタイプの書店なのだが。本の取りそろえも写真集以外は浅く広い感じで、お目当ての作家の著作を一覧したい時に行くには物足りない。

本、DVD、CD、飲食(デート、一人で読書、打ち合わせにも向いている居心地の良いラウンジレストランとスタバとシックなファミマがある)が等価に扱われていて、ふらっと目的なく立ち寄ったり、コーヒー片手に友達と待ち合わせて今日何する?みたいな使い方がぴったりかも。

あれが六本木ヒルズにではなく、代官山の旧山手通り沿いにできたのが画期的だ。落ち着いた町並みに配慮して、TSUTAYAではなく、蔦屋書店というネオンサインのある同じサイズの独立した2階建てを3つ、回廊でつなげて行き来がスムーズしてあり、統一感のある一続きの空間として演出しているのが高度だ。

ここに居ると、リアルな本はこれからも無くならないという気がした。

六本木ヒルズの場所に80年代にあったWAVEで、映画までの時間をCDを見ながら過ごした後、地下のCINE VIVANTに流れていた日々を、この蔦屋書店で思い出した。もっともWAVEやCINE VIVANTの店員のほとんどはマニアックなまでに知識豊富だったのだが。

映画もCDも本も飲食も、同じ美しい空間の中で楽しめる新しいタイプのスペース。ここが成功して他の場所にも増殖していって欲しいものだ。

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2012年1月 7日 (土)

「孤独な惑星」を観た

昨夜ユーロスペースで筒井武文監督の「孤独な惑星」を観た。

限られた空間を巧みに使い、親密で引き込まれる音の豊かな映画だった。どのシーンにも映像を良い意味で裏切る音が付けられていた。主演の竹厚綾のぼそっとしたしゃべり方にやられてファンになった。彼女の長身があの映画になくてはならないものだったと気付く。

筒井武文監督、音響監修の岸野さん、学生時代に関わりのあった人達の活躍が嬉しかった。

http://kodokuna-wakusei.com/op_move.html

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2012年1月 5日 (木)

「ベン・シャーン展」を観に行った

神奈川県立美術館葉山館で1/29まで開催されている「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト展」を昨日見に行った。

結論から言うとこの展覧会は必見である。

これだけの本格的な回顧展は日本では20年ぶりなのだ。質、量ともに予想を上回る内容で、都内から1時間以上車を飛ばして行く価値は充分あった。残念ながら東京への巡回予定はない。

順に作品を振り返ってみよう。

1938年生まれのシャーンが40代の1940年代の作品を見ると、テンペラ特有の半透明な白の特性を生かし、下地の色を透かしながら何層にも絵の具を重ねることによって、カラフルかつデリケートな色味の変化を創り出している。さまざまなテクスチャーを使い分けたり、文様を描き込むなど、この年代の作品には装飾性が画面に比較的強く表れている。

漫画に通じるキャッチーなデフォルマシオンのセンスと、ささくれたような線の表情の豊かさ、半透明に塗り重ねた絵の具の下地が透けて出来るやもやとしたトーンの変化とそれが醸し出す寂寞感、形態のリズミカルな反復、装飾性。こういったベン・シャーンの最盛期を特徴付ける要素が高度にバランスしているのが次に展示されている1950年代の作品群だ。

例えば1952年作の「至福」
体の輪郭はささくれたような線が使われているのに対し麦の穂先には鋭く最も細い線が使われ、茎にはリズミカルでシャープな多数の線が交叉している。その交叉する線に囲まれて出来た小さな面を、微妙に変化する幾つかの色彩で塗り分けて控えめながら画面に装飾性を加えている。

そして麦穂自体は黒で厚塗りされ、平面的に描かれたコントラストの強い麦穂の向きの変化が、画面に小気味よいリズムを与えている。

画面下部の茎の部分から上方の空の部分に渡って、下地の色が半透明に塗り重ねられた絵の具の下や塗り残し部分に顔を出し、画面全体に統一感、透明感、独特な寂寞感をもたらしている。

それと向き合うように展示された1953年作の「不安の時代」
この作品の背景に塗られた黄色の微妙な色調の変化の美しさは忘れがたい。中央の人物の服のサーモンピンクや右の人物の下地のピンクを透かした白の透明感。薄塗りでもマットでかつ透明感があるこの独特の美しさは、油性の卵と水のエマルジョンを使用するテンペラ独特のものだ。

1958年の傑作「会話」の奥に控える空間には作品の素材となるスケッチや本の装丁、ポスター、レコードジャケット等が展示されている。これを見るとフォントデザイナー、ブックデザイナーとしても彼が超一流だったことが分かる。

線、文様、意味の交点にある文字とはベン・シャーンの芸術家としての特質に非常に合致したものであったのだろう。

さらに奥の展示室には彼が撮影した大量の写真の展示もある。

独自の線の個性を創り出した画家という共通点から比較したくなるパウル・クレーとの違いは、ベン・シャーンは写真を作品の材料に使ったので、服装、電柱に貼られたポスター、建物の装飾など、時代を伺わせる具体的な細部が描き込まれていて、それが魅力になっている。

作品の材料としての存在を越えて写真作品としても通用する写真が多かった。

すでにシャーンを良く知る人、初めて観る人、グラフィックデザイナー、装丁家をも強くインスパイアする内容である。カタログも充実しているが、残念ながら、かなり色調が実物から離れたものもある。

独特のささくれた線と美しい絵の具の層から成る寂寞感を湛えた作品群をぜひ実物で体験して欲しい。


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2011年12月14日 (水)

「和樂」2012年1月号に掲載された写真

小学館「和樂」2012年1月号。「白に捧ぐ」という正月迎えのテーマで撮影した写真が巻頭6ページに掲載されています。

花人・川瀬敏郎さんによる、檀紙を何十枚も重ねた上に、未生や切り株を載せた「景色」を周りの気を含めていかにそっくり撮り込むか。とても緊張感のある撮影でした。

ご覧頂けると幸いです。

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